女子大生ココの海外旅情報

「自分だけのオリジナルの旅」をモットーに、旅女子ココが世界を旅します

【ひとりごと】旅慣れと深夜特急

 

小さい頃は、旅に行く度に、胸の底から何かが込み上げてくる感じがしていた。それを7歳くらいの私は「楽しみだね!」「あと1ヶ月だね!」と祖母や母に話すことで表現していた。何ヶ月も前からカウントダウンしては、まだかまだかとその出発の日を待ちわびていた。そのそわそわした気持ちは、飛行機に乗って目的地に着くまで続き、やっと着いた時に胸の底にあったものがどっかーんと爆発した。

 

「楽しいね!」笑顔で祖母の顔を見上げたものだった。祖母も、そんな言葉と顔を見る度に、幼い頃から旅に連れて行ってくれたのだと思う。

 

大好きな場所は東京ディズニーリゾートだった。誰でも聞いたことがある場所だけど、九州に住んでいる私の友達は、行ったことのない子がほとんどだった。何度も祖母に連れて行ってもらい、「周りの子が行きたくてもいけないところ」に既に10回くらい行っていることが、自慢だった。「夏休み何した?」「ディズニーランドに行った!」その会話は何回でもできた。

 

楽しい旅行が終わり、帰りのバスや車や飛行機に乗る時間が来ると、私はいつもこっそり泣いていた。帰るのが悲しかった。いつまでもその楽しい時間が続けばいいのに。終わらなければいいのに。楽しかった、本当に楽しかった、、、。幼いながらに、泣くところを見られたくないと思っていた私は、いつも窓の外を見ているフリをして、静かに涙を流していた。誰にも見られないように。

 

そんな風に、旅は私の心を確かに動かすものだった。旅は楽しくてたまらなかった。そしていつも、あっという間に終わってしまう。私がいつも泣いていたのは、楽しい時間が遠い昔になってしまうのが悲しかったからだ。ディズニーシーで食べた、ステーキの味。アトラクションの中で流れる楽しい歌。暑い空気と、ミストが肌にかかる爽快感。その瞬間瞬間を切り取って、持って帰りたかった。でも、成田空港へのシャトルバスに乗った瞬間から、もう過去のことになってしまう。その時、私は夢のような世界にさよならをしなくちゃいけなかった。

 

私にとって、旅は特別だった。

 

初めての海外旅行は、ソウルだった。大きくなった私は、韓国のアイドルを好きになり、韓国のドラマを好きになり、韓国語の響きが好きになった。韓国語の勉強をしていた私への、祖母からの小学校卒業祝いだった。アイドルに会えるんじゃないかと本気で思い、ドキドキしていた。残念ながらアイドルはみんな、店頭でパネルになって立っていただけだったが、あたかも本人がいるように私は笑顔になって、隣に立った。写真を撮ってもらっていたのだ。

 

次の旅行はハワイだった。習いたての英語を駆使し、スーパーでパンを一枚買った。白人のかっこいい男の子と、ビーチで目が合った。色んな国から来た観光客の波に乗って、夜のマーケットは輝いていた。

 

そうして私は旅の虜になり、旅を繰り返した。スペイン、シンガポール、カナダ、タイ、ベトナム、オランダ、ベルギー、ドイツ、アメリカ、、、1人で行ったり、母と行ったり、祖母と行ったり、みんなで行ったり、沢山の旅をした。

 

そして、20歳になった私は、明日ロンドンへ発つ。4泊5日の旅。

 

でもどうしてだろう。

 

小さい時は、旅の前日の夜は、いつも寝られなかった。荷造りは旅行の次に楽しみなことだった。よく、姉と、「キキが荷造りするシーンを見ながら荷造りしよう!」と言って、結局アニメに見入ってしまって、用意が進まなかった。ガイドブックを隅から隅まで見て、何を買うか、何を食べるか、あれやこれやと妄想していた。

 

それなのに、どうしてだろう。

 

荷造りは、へなへなになりながら今日終わらせた。重くなってきたバックパックを掲げては、少し頭が痛くなる。明日の朝、ちゃんと起きないと。黙ってアラームをセットする。

 

食べるものも、行くところもよく決めていない。英語は話せるから、なんとかなるだろう。あ、スリ対策だけしないと。持っていくのは、5万で足りる?次の旅行のお金も貯めないとだし。

 

私は、すっかり、旅に慣れてしまったようだ。いや、旅をするためだけに旅をするようになってしまったのかもしれない。

 

最近、読んでいる本がある。タイトルは深夜特急沢木耕太郎が書いた旅行記だ。インドからロンドンまで、バスで乗り継いで旅した記録である。

 

旅を一年以上続けた彼は、旅に生きて、旅に死ぬことを常に恐れている。旅に生きるということは、「自分は何をしているんだろう」と思うまで旅をすること。旅に死ぬということは「もうどうでもいい」と思うまで旅をすることだ。

 

彼も、旅の最初の方、タイや、台湾や、マカオでは無鉄砲なところが少々あったが、活気があり、いきいきとしていた。しかし、果てしない道、名もない道を走り続けることで、旅をすることそのものが目的となってしまった。そして「自分はこんなところで、働きもせずに一体何をしているんだろう」と、汚い身なりと活気のない瞳でつぶやくのだ。

 

しかしそういうものだ、と心の中で私は言う。旅を続ければ、なんとなくしていてもなんとかなることが分かってくる。前みたいに、注文する度に、お会計の度に、いちいち緊張する必要はない。笑顔のない店員に傷つくことも、慌ただしい街中でぶつかってくる現地人にいらつくことも、ない。旅が身近になりすぎて、自然になりすぎたのだ。

 

それが、私が大人になったからなのか、英語が話せるようになったからなのか、旅に慣れすぎたのかは分からない。全てが原因な気もするし、どれも違う気もする。

 

7歳の私の気持ちを、恋しく思う必要もないのだろう。誰だったか、誰かが何かで、「旅は年齢によって変化するもの」と言っていた。そうだ、私が変われば、旅も変わるのか。

いや、そう簡単に納得できない。

 

私は結局、バスの中で泣いていた頃のように、思い出が過ぎ去っていくのが悲しいだけじゃないのか。怖いだけじゃないのか。

 

沢木は、マカオや台湾での活気を思い出しては、各地でその熱を探していた。でも、それはどこにもなかった。旅は前より日常化する。擦れて、色あせてくる。そして、旅が変わったと思ったが、変わったのは自分ではないか、と半分過ぎたくらいの頃に思い始める。

 

そして、こうも言っていた。人生と同じように、旅もまた二度と同じことをやり直すわけにはいかない。と。

 

深夜特急は単行本で6巻まである。私は、ロンドンに着こうとしている章から先に進めないでいる。いや、進みたくない、と言った方が正しい。

 

私は確かに変わった。20歳になり、1人で飛行機に乗り込み旅をすることも増えた。確かに年を取り、もう7歳の私とは違うのだ。

それでも、と思う。

それでも、もう少しワクワクしたい。この先に何があるか、自分の目で見たい。もうガイドブックはいらない。人の書いた文は読みたくない。自分の旅を作ろう。慣れてもいい。昔の緊張感は、もう要らない。それでも旅がしたい。と。

 

20歳の私がこれからするロンドンへの旅もまた、二度とやり直すことはないのだから。

 

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